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徳島地方裁判所 昭和43年(ヨ)289号 判決

申請人 枦山洋一

被申請人 光洋精工株式会社

主文

一、被申請人は申請人をその徳島工場勤務の従業員として仮に取り扱え。

二、被申請人は申請人に対し金七四万八、八六〇円ならびに昭和四五年二月から本案判決確定にいたるまで毎月三〇日限り金四万〇、〇五〇円の各金員を仮に支払え。

三、訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、申請人

主文同旨の裁判。

二、被申請人

「1申請人の本件仮処分申請を棄却する。2訴訟費用は申請人の負担とする。」との裁判。

第二、申請の理由

一、被申請人は、肩書地に本社、東京、名古屋、大阪、広島ならびに北九州各市に支社、東京、大阪、高松ならびに徳島に各製造工場をそれぞれおき、従業員約四、五〇〇名を使用して各種ベアリングおよびミシン等の製造ならびに販売業を営む株式会社であり、申請人は、昭和四二年一〇月一三日被申請人に機械工として採用され、爾来ベアリングの製造を行う被申請会社徳島工場に勤務してきた。

二、被申請人は、昭和四三年九月二二日申請人に到達した内容証明郵便をもつて、申請人に対し同年八月二九日付で試採用を取消す旨意思表示(以下本件解雇という。)をした。

三、しかしながら、本件解雇は次のいずれかの理由により無効である。従つて申請人は現在被申請会社徳島工場の従業員として、期間の定めのない雇傭契約上の地位を有するものである。

1  申請人と被申請人との間に昭和四二年一〇月一三日締結された労働契約は、被申請人の就業規則2・4に「新に雇入れられた従業員は二ケ月以内の試傭期間を置く。試傭期間中に本人の身元・健康状態・技能・勤務成績を審査し、不適格と認められたとき又は無届欠勤四日以上に亘るときは採用を取消すものとする。」と規定されている如く、試傭期間を二ケ月とする期間の定めのない雇傭契約であつて右試傭期間中に限り被申請人に解雇権が留保されていたものであるか、もしくは、右試傭期間中に従業員として不適格であるとの判断を受け解雇されることを解除条件とする雇傭契約であるが、申請人は、前記の如く昭和四二年一〇月一三日被申請人に採用され、本件解雇の日付である昭和四三年八月二九日当時すでに解雇されることなく一〇ケ月余を経過し、すでに右試傭期間は終了した。よつて留保された解雇権は右期間の経過とともに消滅し、もしくは右期間内に解雇がなされることなきに確定し、条件は不成就たることに確定したから、その後にされた本件解雇はその前提を欠き無効である。従つて、右雇傭関係は現に存続中で申請人は被申請人との間に期間の定めのない雇傭契約にもとずく従業員たる地位を有する。

なお、仮に当事者間に成立した労働契約が被申請人が主張する如く試傭期間を一ケ年とする雇傭契約であつたとしても、その二ケ月を超える部分は次の理由により無効であるから、いぜん試傭期間は二ケ月であることに変りはない。

すなわち、

(イ) 被申請人の就業規則によれば前記の如く試傭期間は二ケ月とする旨規定されているところ、当事者間の契約において試傭期間を一ケ年と定められまた仮りにそのような労働契約が事実上慣行化していたとしても試傭期間の定めは、雇傭関係の終了に関する定めで、労働基準法第九三条の「労働条件」にあたるから試傭期間を一年とする労働契約は右就業規則に定める基準に達しない労働条件を定めた労働契約となり、二ケ月を超える試傭期間を定める部分は無効であり、試傭期間は就業規則で定める基準により二ケ月になるというべきである(労働基準法第九三条)。

(ロ) 仮に右(イ)の主張が認められないとしても、試傭期間を一ケ年とする定めは、公序良俗に反し無効である。

すなわち

元来試傭期間なる制度は、その間に労働者の能力ないし適格性を調査し判断するために設けられるもので、試傭期間中は使用者に大巾な解雇権が留保されることにより労働者を不安定な地位に置くものであることに鑑み、労働者に対する右調査判断を行なうに必要な期間をはるかに超えて長期とすることは、何ら合理的理由なくしてたゞいたずらに労働者を不安定な地位に置くものであつて許されないというべきである。申請人の如く自動旋盤機を操作し、ボールベアリングの外輪切削という単純な作業に従事する機械工としての能力ないし適格性を調査判断するに要する期間は二ケ月あれば十分であるから、試傭期間を一ケ年とする契約は、試傭期間制度の趣旨、目的に反して適格性の判断に必要な期間をはるかに超えた長期の試傭期間を定めたもので、その間使用者の大巾な解雇権行使を甘受せざるを得ない極めて不安定な地位に申請人を置くものであるから公序良俗に反し無効である。

2  仮に試傭期間を一ケ年とする雇傭契約が有効であるとしても、採用後すでに一〇ケ月余も経過した時点において何ら客観的合理的理由に基づかないでなされた本件解雇は、解雇権の濫用として無効である。すなわち、

申請人の如き職種についてその能力ないし適格性を判断するには二ケ月あれば足りるから、それ以上に長期の試傭期間を設けるべき実質的理由は存しない。したがつて、申請人は本件解雇当時なお試傭期間中であるとしても採用後すでに一〇ケ月余を解雇なくして経過したことはその適格性ある証拠で、最早試傭期間の意味は実質的に消滅しているというべく、かかる場合には、解雇権の大巾な行使は許されず、就業規則ないし労働協約所定の解雇基準に相当する事由、すなわち、一応適格性の判断を経て来た者であるにもかかわらず予期に反し著しく技術又は能率が低劣であることが判明したため就業に適さないと認められるような場合(就業規則5・4(3)、労働協約三四条参照)ないし懲戒解雇に相当するような事由のある場合でなければ解雇することは許されるべきではない。

又労働基準法第二一条は試の使用期間中の者(試傭者)につき一応解雇の予告の規定(同法第二〇条)を適用しない旨定めたうえ、その但書において試傭者が一四日を超えて引き続き使用されるに至つた場合にはこの限りでないとして解雇の予告の原則を適用する旨定めている。これは試傭期間中の者が一四日を超えて相当期間引き続き使用されるに至つた場合は、解雇に関しては、とくにその予告手続のみならず、解雇権の制限を受ける点においても、雇用の安定の法理から本採用後に予定されている期間の定めのない労働契約の場合と同様に取り扱つているものと解される。したがつて、前記結論は、労働基準法第二一条の法意からも是認できる。

ところで、被申請人が、本件解雇にあたりその理由として指摘したところは、申請人が〈1〉昭和四三年六月七日の六時間残業時に約一〇分早く機械を止めたこと、〈2〉同年七月六日の二時間残業時に一五分早く機械を止め、五分早く洗面したことの二点であるが、この点について敷衍すると、次のとおりである。すなわち、

被申請会社徳島工場においては、昼夜二交替勤務制で、昼間勤務は午前八時から午後四時まで、夜間勤務は午後四時から翌日午前零時までとなつており、従業員は一週間毎に昼夜を交替して勤務し、夜間勤務の場合は更に二時間ないし六時間の残業が課せられ、残業は土曜日および月曜日を除いて事実上半強制的である。ところで、就業規則3・1・5によれば、時間外労働二時間につき一五分の割合で休暇を与える旨規定されており、残業時の休憩時間の取り方については勤務終了時にまわすことが慣行化し、二時間残業の場合は午前一時四五分、六時間残業の場合は午前五時一五分に仕事を終了するのが慣行となつている。さらに、機械を停止してから研磨粉の処理、飛散した油の掃除および油圧停止作業、作業伝票付けなどの作業がありこれに約一五分を要し、ために右勤務終了時(それぞれ午前一時四五分、同五時三〇分)よりさらに一五分早くモーターを止めることになつている。

而して、申請人は、昭和四三年六月七日の六時間残業時午前五時二〇分頃モーターを停止していたことは事実であるが、殆んどの者が午前五時頃すでに機械を止めていたにもかかわらず申請人は午前五時二〇分ぎりぎりまで機械を動かしていたし、又同年七月六日の二時間残業時に午前一時三〇分頃機械を止めていたのは事実であるが、いずれも問題視すべき怠慢ではない。しかも、七月六日は被申請人側でも残業を無理には求めない土曜日で、申請人ら二、三名を除く殆んどの者は午前零時で勤務を終え帰宅していたのであるから、申請人がこの日残業していたことは、申請人の仕事に対する熱心さ、真面目さを示すものである(なお、五分早く洗面をしていたと述べる点については、午前一時四五分頃チヤイムの鳴る前に便所へ行つて用を足し、手を洗つた事実はある。)。これらはそれ自体些細な事由に過ぎず到底採用を取消す理由を構成する事由とはなり得ないばかりか、従来終業時間より早く仕事を止めたことを理由に解雇された事例はなく、せいぜい工場副長から注意を受けた程度である。

以上によれば、右程度の事由は前記就業規則ないし労働協約所定の解雇基準に達せず、本件解雇は合理的理由を欠き権利の濫用として無効である。

3  また、本件解雇は、次の事由により申請人の思想・信条を理由とする差別的取扱いであるから、憲法第一九条、第一四条第一項、労働基準法第三条に違反し無効である。すなわち、

申請人の実兄枦山利美は申請人の出身地で日本民主青年同盟(以下民青という。)の地区委員を歴任するなど同地区における著名な活動家であり、申請人も高校在学中右実兄枦山利美の影響も受けて社会的に目覚め、高校在学中である昭和四一年秋すでに民青に加盟し、同盟員として原水爆禁止四国大会、青年学生集会の成功のため活動をするなどその活動に参加して来た。

ところで、被申請人の民青に対する攻撃は厳しく、徳島工場においても昭和三九年頃には民青の組織があつたが、会社側の攻撃により壊滅の憂目に会つて以来申請人が入社するまで民青の同盟員に対し活動の余地を許さなかつた。なお大阪国分工場においても、被申請人は数名を解雇したが、表向きは些細なことを理由とするが会社側の真意は被解雇者の民青活動封殺にあつた。

申請人は、入社後このような厳しい条件下におかれながら、ともに寮生活をしている同僚に「民主青年新聞」の購読を勧め、徳島の歌声祭典に仲間を誘い、さらに民青に加盟するように説得工作を行なうなど積極的に民青活動を続けて来た。

而して、被申請人は、申請人の右の如き民青活動を嫌悪して、昭和四三年七月二一日突如徳島工場第一生産課研磨区外輪班に所属していた申請人を第二生産課スラスト班に配転を命じた。すなわち、徳島工場は、同年六月頃まではボールベアリングの製造のみを行なつていたが、同工場敷地内に新工場を新築し、同月下旬第二生産課を新設し、ローラーベアリングの製造をも行なうようになつた。この第二生産課は、従業員約二〇〇名でうち一五〇名を新規採用し、五〇名が旧工場より熟練工として新規採用者を指導するため新工場発足とともに配転された。ところで、被申請人は、新工場の稼動後約一ケ月近く経過した同年七月二一日申請人に対し突如右に述べた配転を命じた。当時申請人の所属していた特殊外輪班は、機械の増設によつて忙しさの限界に達し一人減ると到底正常な業務を行なえない状態であつたので、右外輪班の同僚が中心となつて不当な配転だとして被申請人に対し抗議したが、申請人は取り敢えず配転先の第二生産課スラスト班に移つた。申請人は、すでに一〇ケ月近く機械工としての経験を有していたから配転先においては当然機械工としての業務に従事するものと考えていたところ、命じられた職務はラツプ工(不良品の錆を布ペーパーで落とし、黒皮を削るといつた誰にでも出来る単純な作業を行なう職種)であつた。申請人の元の職場の同僚達は、申請人の訴えによつてこの不当配転を知るに至り、就業時間に二時間食い込む職場大会を開き、会社側に抗議するなど不当配転の撤回方を要求し、申請人は頑強にしかも組織的に闘つてきたし、職場の同僚にも配転の不当性を訴え続けてきた。

このような経過を経た後被申請人は、昭和四三年八月一四日申請人を徳島工場応接室に呼び出し、突如前述の二点を指摘しこれが就業規則に違反するとして任意退職方を強く要請したが、申請人はかくの如き不合理な理由により退職すべき理由は全くないのでこれを拒否したところ、被申請人は同年八月一六日申請人に対し内容証明郵便をもつて就業規則違反を理由に同月一四日付で解雇する旨通告して来た。申請人はこれを認めることができず右内容証明郵便を直ちに返送するとともに、会社に抗議し就労を要求してきたが、被申請人は申請人の就労を拒否し続けた。申請人は、被申請人に対し解雇の真意をたゞし、その不当性を追及するなどして解雇に反対し続けてきたところ、被申請人は、昭和四三年八月二九日申請人を徳島工場に呼び出し、申請人に対し同月一四日付解雇処分を撤回し、試傭期間中であるから採用を取消す旨口頭で申し渡し、さらに昭和四三年九月二二日申請人に対し内容証明郵便をもつて同年八月二九日付で試傭期間中であることを理由に採用を取消す旨本件解雇を通告してきたものである。

以上の如く申請人に対する配転、本件解雇に至る経過などに徴すれば、本件解雇は、些細な事由を口実として、その真意は申請人の民青活動を理由とし、申請人を社外に放逐し、ようやく芽生えた民青活動を封殺しようとする意図の表れで、申請人の信ずる思想信条を嫌つた差別的取扱いであることは明白であるから、憲法第一九条、第一四条第一項、労働基準法第三条に違反し無効である。

四、申請人は、昭和四三年七月当時毎月三〇日に月額金四万〇、〇五〇円の平均賃金の支給を受けていた。従つて同年八月一五日から同年一一月二〇日までの間に申請人が支給を受くべき給料は金一二万八、一六〇円であり、会社の同年度末における一年間勤務者の年末一時金の平均額は金六万円である。

五、申請人は、賃金を唯一の収入として生活している労働者であり、直ちに救済を得なければ生活を維持して行くことは困難で、その破綻は必至である。しかるに被申請人は申請人の被申請会社徳島工場従業員としての地位を否定し、申請人の就労を拒否し、昭和四三年八月一五日以降の賃金を支払わない。よつて申請人はその地位を保全するため本件仮処分を申請し、申請人を被申請会社の従業員として仮に取り扱わしめ、かつ前記賃金及び一時金の仮り払いを求める次第である。

第三、被申請人の答弁

一、申請の理由一記載の事実中、機械工として採用されたとの点は否認し、その余の事実は認める。

二、同二の記載の事実はすべて認める。

三、同三記載の事実中、申請人主張の年月日に申請人・被申請人間に労働契約が締結されたこと、就業規則2・4中に申請人主張のとおりの規定があつたこと、申請人が昭和四二年一〇月一三日被申請人に採用されてから本件解雇のなされた昭和四三年八月二九日まで解雇されることなく一〇ケ月余を経過していたこと、被申請人が本件解雇に際し申請人主張の〈1〉及び〈2〉の二点を指摘したこと(但し、これだけを理由とするものではない。)、被申請会社徳島工場中申請人所属の職場(第一生産課特殊研磨区外輪班)においては、昼夜二交替勤務制が行なわれ、昼間勤務は午前八時から午後四時まで、夜間勤務は午後四時から翌日午前零時までで、一週間毎の昼夜交替勤務となつていること、夜間勤務の場合は二時間ないし六時間の残業があり、土曜日および月曜日は原則として残業が行なわれなかつたこと、就業規則3・1・5には時間外勤務の際の休憩について申請人主張の如き規定があり、二時間残業の場合は一五分、六時間残業の場合は四五分の休憩時間があつたこと、右残業時の休憩時間のとりかたは、勤務終了時にまわすことが慣行化し、二時間残業の場合は午前一時五〇分、六時間残業の場合は午前五時三〇分にそれぞれ仕事を終えることになつていたこと、申請人は昭和四三年六月七日の六時間残業時に定刻より約一〇分早く機械を止め、同年七月六日の二時間残業時に同じく一五分早く機械を止め、かつ五分早く洗面したこと、七月六日は土曜日で申請人ら二名が残業に従事していたこと、被申請人は昭和四三年七月二二日申請人に対し第二生産課スラスト班に配置転換を命じたこと、徳島工場においては同年六月頃まではボールベアリングの製造のみを行なつていたが、同工場敷地内に新工場を新築して、第二生産課を新設し、ローラーベアリングの製造をも行なうようになつたこと、第二生産課における従業員の数およびその内訳はほゞ申請人の主張どおりであること、申請人のスラスト班における当初の仕事はラツプ工(不良品を手直して良品化する仕事。)としてのそれであつたこと、被申請人は昭和四三年八月一四日申請人を徳島工場応接室に呼び出し任意退職方を要請したが、その理由の大要は前記〈1〉および〈2〉の事由が就業規則に違反するためであつたこと、申請人は右要請を拒否したので同年八月一五日申請人に対し就業規則違反を理由に同月一四日付で解雇する旨内容証明郵便をもつて通告したこと、次いで被申請人は八月二九日申請人を徳島工場へ呼び出し八月一四日付解雇を撤回し、試傭期間中であることを理由に採用を取消す旨申し渡し、九月二二日内容証明郵便をもつて八月二九日付で試採用を取消す旨通告したこと、以上の事実はすべて認めるが、その余の事実は否認ないし不知。申請人の法律上の主張はすべて争う。

四、同四記載の事実はすべて認める。

五、同五記載の事実はすべて否認する。

六、被申請人の反論

1  申請人と被申請人との間に締結された雇傭契約は、期間を一年と限つた臨時工契約である。右雇傭契約の内容は、申請人を採用する際、申請人に充分告知され、申請人もこれを充分承知していたものである。すなわち、

被申請会社の各工場における新規採用者(本社採用を除く。)は、すべて雇傭期間を一年と限つた臨時工であり、その労働契約の内容は右期間経過後更めて選考の上本工に登用されることはあるが、被申請人の側で右期間中における成績からみて本工登用の見込みがないと判断したときはいつでも申請人を解雇することができるという契約である。このような臨時工契約は被申請人とその労働組合である訴外全国金属労働組合光洋精工支部(以不単に組合という)との間で、昭和三九年春頃右組合の要求を容れ一年とすることに合意ができたものであつて、それ以後現在もなお臨時工の期間は一年とすることを従業員は勿論組合も承認しているものである。したがつて、雇傭契約の当初から本採用を予定し、たゞ一定期間所謂試傭期間をおき、右期間中に不適格事由がなければ期間経過とともに自動的に本採用に切替る労働契約とは、本質的に相違する。従つて就業規則2・4の規定は臨時工である申請人には適用されない規定である。たゞし、臨時工に対しては、就業規則等に特別の定めはないから、上記の臨時工の性質に反し適用を除外された規定を除き、その余の就業規則の規定は性質に反しない限り適用もしくは準用される。本件解雇は、先づ、右に述べたとおり右臨時工契約に留保されていた解約権に因るものであり、仮に解約権が認められないとするも民法第六二八条に因るものである。また、本件解雇が仮に無効であるとしても申請人と被申請人との間には臨時工契約しか存しないから、その契約に定めた終期である昭和四三年一〇月一二日の到来した現在においてはすでに両者間の雇傭関係は期限の到来により終了している。従つて、以上いずれの理由からしても申請人の被申請人に対する、申請人を被申請人の従業員として扱えとの仮処分申請は、その前提となる雇傭関係の消滅後であるから、被保全権利を欠き失当と言わなければならない。

なお、被申請人会社においては、試傭期間中の者は本社採用の準職員(大学卒定期採用者)のみを言い、これと臨時工との間の取扱い上の相違について一言すると、次のような実質的な差異がある。

(1) 工場採用者は総て臨時工たる身分を取得するが、本社採用者は当初試傭期間中の者として取扱われる。

(2) 臨時工は日給制であるが、試傭期間中の者ならびに本採用者は日給月給制および月給制である。

(3) 臨時工期間は一年間であるが、試傭期間は二ケ月である。

(4) 臨時工は採用後直ちに当該工場の各職場に配置され、班長、区長の指揮下に入るが、試傭期間中の者ならびに試傭期間を経過して本採用になつた者は、通常本社人事部の主管で三ケ月ないし一年の集合訓練を経た後各職場に配置される。

(5) 臨時工を経て本採用になつた者は、臨時工期間が退職金算定の計算基礎(勤続年数)に算入されないが、試傭期間を経て本採用になつた者は、試傭期間も退職金算定の計算基礎に算入される。

(6) 臨時工として採用された者は、一ケ年間の勤務成績をみて、優秀者のみを本採用とするが、その際選考試験を行なう。しかし、本採用後はさらに試傭期間は置かない。これに反し、試傭期間中の者が本採用になる場合、特段の欠格事由がない限りさらに選考試験等はなく、二ケ月経過後当然に本採用になる。

(7) 臨時工は、中学校・高等学校への勧誘のみならず、職業安定所、新聞等によつても募集し、採用にあたつては面接のみで比較的容易に採用となるが、試傭期間を経て直ちに本採用となる者は、総て被申請人が指定した学校に推せん依頼を行ない、応募者は通常採用予定人員の三倍ないし四倍になり、その中から選考する。

(8) 臨時工は新卒者の外転職者も採用し、その採用も随時必要とする時行なつているが、試傭期間を経て本採用となる者は新卒者に限られ、その採用時期も四月に限られている。

(9) 臨時工は、採用時に志願者考査表(乙第六号証)の必要欄に所要事項を書き込み、かつ家族の状況を簡単に記載した身上調書を提出するのみだが、試傭期間を経て本採用となる者は就業規則所定の必要書類を提出させている。

このように、被申請会社では、臨時工と試傭期間中の者とを厳然と区別している。これを要するに、臨時工を経て本工に登用される者は、臨時工の期間が一ケ年存在し、その期間に従業員としての適格性を見定めることができるので、臨時工としての採用は比較的容易に行なつているが、試傭期間を経て本採用となる者は、当初より本採用者としての意識が強いため厳重な選考が行われている実情である。そこで、申請人は以上述べたすべての点において臨時工として処遇されていたものである。

申請人は、被申請人との間に成立した雇傭契約は本採用を予定したいわゆる試傭期間中のもので、期間の定めのある臨時工契約ではないから、本件解雇当時すでに入社後試傭期間二ケ月を経過し本工となつた旨主張するが、もし本工であつたならば労働協約(疎甲第三号証)第五条所定のユニオンシヨツプ協定により、申請人は本件解雇当時組合員でなければならなかつた筈である。にもかかわらず、申請人自ら組合員でなかつた旨自認している。これは申請人が当時なお労働協約第五条第五号(ハ)および組合支部規約(疎甲第四号証)第三条但書第七号ハに規定する「一定期間を定めて臨時に雇入れられる者」に該当していたからに外ならない。

2(イ)  被申請人は、昭和四三年八月一四日申請人に対し同人につき後記(ロ)記載の如き事由があつて臨時工期間終了後も本工に登用できる見込みがないことが判明したため任意退職を要請したが、申請人はこれを拒否したので、被申請人は同日付で臨時工契約を解除する旨意思表示した。その後申請人は被申請人に対し二回の注意のみで解雇されるのは納得できない旨申し入れて来たので、被申請人は同年八月二九日申請人に対し右八月一四日付解雇は懲戒解雇ではなく申請人につき就業規則違反の事実があつて将来本工に登用される見込みがなくなつたことにより臨時工契約を解除する意味で解雇という表現を用いたもので、八月一四日付解雇を撤回し、同月二九日付で試傭期間中の採用を取消すという表現を用いたのは、臨時工期間は本工になるための試傭期間的意味をも有するから解雇という表現を避け、右実体に即した表現を用いたにすぎない旨説明した。すなわち右撤回には格別な意味はなく、又若年である申請人の将来にとつて上記の表現が良いとも考えたからに外ならない。

(ロ)  申請人は、昭和四三年六月七日の六時間残業時において未だ機械稼動中であるべき午前五時二〇分頃すでに自己担当の機械を止め、機械裏のコンベアにダンボールの紙を敷いて腰をかけ段取工多田憲章(本工)と雑談していたのを発見され、その際厳重に注意された。にもかかわらず、同年七月六日の二時間残業時において、未だ機械稼動中であるべき午前一時三五分頃すでに作業場を離れ、手洗場において手を洗い終り帰り支度をしていたのを再び発見された。工員は終業時の若干前に機械の清掃、作業伝票付け等のため、時に機械を早く止めることがあるけれども、これらの作業は通常作業時間中に作業者が交替で行なつているのが常態である。

申請人は、配置転換後も勤労意欲を欠き、上長である課長、係長より再三にわたりその作業態度について注意されたが改まらなかつた。

右の如き事由は、就業規則1・4の「従業員はこの規則を守り、職制に定められた上長の指示通達に従い、誠実に自己の職責を尽し、業務能率の向上に努めねばならない。」に違反するとともに就業規則12・4(13)「正当の理由なくたびたび上長の指示命令又は責任者の通達指示に従わなかつた者」および同(23)「濫りに職場放棄する等業務の正常な運営を阻害し……た者」という懲戒解雇事由に該当する。

このように、被申請人は、申請人につき右の如く就業規則違反の事由が生じ、臨時工終了後本工に登用することは困難であると判断したので、前述の如く本件解雇をするに至つたものである。

(ハ)  徳島工場第二生産課は、申請人の配置転換当時新設直後の混乱状態にあり、大阪国分工場から指導のため約一ケ月の約束で徳島工場へ来ていた従業員等は帰阪を始め、それによる人手不足を第一生産課外論班より一名を第二生産課へ配置転換させて補うこととなり、申請人がそれに選ばれたのである。申請人が選ばれたのは、申請人が当時臨時工であつたことおよび申請人の作業能率が他の作業者に比較して劣つていたことなどに因るものであつて、被申請人が申請人の民青活動を嫌悪したことに因るものではない。

申請人に第二生産課においてラツプ工の作業に従事させたのは、当時第二生産課は新設工場のため湿気が多く、ラツプ(錆が発生した不良品)が非常に沢山出たため、課長係長もラツプ工として働いたほどであり、第二生産課に移つた者は、すべて先ずラツプ工としての作業に従事し、次いで機械につけるという方式をとつていたものであるから申請人にラツプ工の仕事をさせたのは、右方式に従つた全く暫定的なものにすぎず、他意あるものではない。

(ニ)  本件解雇は、前述の如き理由に基づくもので、申請人の思想・信条を理由になされた差別的取扱いではない。被申請人は、申請人の民青活動については全く関知せず、本件申請によつてはじめて申請人が民青活動にかつて従事していたのかと知つたほどであるから、被申請人が申請人の民青活動を嫌悪して本件解雇を行つたことは到底あり得ない。

3  申請人は、未だ二〇歳の若年であり、両親のいる実家(徳島県海部郡牟岐町辺川三八六)にも近く、その生活に重大な支障をもたらすとは到底考えられない上、本件仮処分申請は本件解雇後四ケ月も経過して初めてなされたものであるから、本件仮処分が真に必要であるかは甚だ疑わしい。

第四、被申請人の主張

仮に、申請人が本件解雇当時本工としての地位をもつに至つたとしても、申請人には前述の如く就業規則12・4・(13)および(23)所定の懲戒解雇事由が存し(詳細は前記第三、六、2(ロ)記載のとおり。)本件解雇の意思表示には、右就業規則による懲戒解雇の意思表示が含まれていたから、右意思表示により結局申請人と被申請人との雇傭関係は解約終了した。

第五、被申請人の主張に対する申請人の答弁

右主張事実は否認する。

第六、疎明〈省略〉

理由

第一、

一、被申請人は、肩書地に本社、東京、名古屋、大阪、広島ならびに北九州各市に支社、東京、大阪、高松ならびに徳島に各製造工場をそれぞれ置き、従業員約四、五〇〇名を使用して各種ベアリングおよびミシン等の製造ならびに販売業を営む会社であり、申請人は、昭和四二年一〇月一三日被申請会社に採用され、爾来ベアリング製造を行なう被申請会社徳島工場に勤務していたことは当事者間に争いがない。

二、いずれも成立に争いのない疎甲第一三号証、第一四号証の一ないし三、第一七号証の一、二証人森章の証言により真正に成立したものと認められる疎乙第六号証ならびに申請人本人尋問の結果によれば、申請人は被申請人徳島工場勤務の機械工(ベアリングの研磨の職種)として採用されたことが認められ、他に右認定を覆すに足る疎明はない。

第二、本件解雇の意思表示とその効力

一、被申請人は、昭和四三年九月二二日申請人に到達した内容証明郵便をもつて、申請人に対し同年八月二九日付で試採用を取消す旨意思表示(以下本件解雇という。)をしたこと、は当事者間に争いがない。

二、そこで、本件解雇の効力について判断する。

1  先づ、申請人と被申請人との間に成立した労働契約の性質について検討する。

申請人と被申請人との間に昭和四二年一〇月一三日雇傭契約が成立したことは当事者間に争いがない。たゞ、その契約内容について争いがあり、申請人は試傭期間を付して採用された者、すなわち、試傭契約であると主張し、被申請人は臨時工として採用したものであると争う。そのいずれであるかは、申請人と被申請人との間に締結された労働契約の内容、すなわち雇傭の際の両当事者の合意の内容によること勿論である。そこでいかなる合意が成立したのかについて考える。

いずれも成立に争いのない疎甲第一号証、第二号証(疎乙第四号証と同じ)第一三号証、第一四号証の一ないし三第一七号証の一、二、第一八、一九号証、疎乙第一号証の一、二、第一一号証前顕疎乙第六号証、証人森章、同藤野新一の各証言(いずれも後記措信しない部分を除く。)、申請人本人尋問の結果、ならびに弁論の全趣旨によれば、次の各事実が疎明される。

すなわち、

被申請会社が工員を採用する場合は、高等学校もしくは中学校の新卒者を対象として毎年三月頃行なう定期採用であると、それ以外の適宜の時期に新卒者以外の者を対象として行なう不定期採用であるとを問わず、各工場において直接採用するのが例で、右いずれの場合もすべて臨時工の名のもとに雇入れられていること、定期採用の場合は学校の推薦者を対象に筆記試験ならびに面接試験を実施して採用し、不定期採用の場合は、公共職業安定所の斡旋ないし新聞広告による一般募集の方法によりその応募者を対象に面接試験を実施して採用するのが慣例であるが、入社後の待遇は定期採用であるか不定期採用であるかによつて差別されていないこと、右にいう臨時工は、将来本工に昇格することを前提に雇入れられるものであり、入社と同時に本工と同一職場に配置され、作業内容も旋削、研磨などの作業に従事し本工と何ら区別されることなく、又、勤務(昼勤、夜勤、その交替制、残業など。)についても本工と同一に取扱われていること、臨時工として採用された者は、一定の期間、すなわち昭和三九年春までは二年、それ以降は一年内に勤務成績、作業態度、健康状態などにより工員として適格性がないものと判定され被申請人によつて解雇(実際上退職勧告に基づく任意退職の形式をとる場合が殆んどである。)されないかぎり、右期間満了の際改めて試験などによる詮衡手続を経ることも又改めて雇傭契約を締結することをも要せずに当然引き続いて工員として雇傭されるのが従来の慣例であること(たゞし、それまでの作業成績の観察にもとずく人事考課等の書類選考と、当該現場の職制の採否に関する意見上申とをしんしやくして、本工となるべき適格を有しない者は早期に前記任意退職を勧告し、退社を求めているのが実情である。)、基本給、能率給、職務手当、家族手当、通勤手当、時間外手当、交替勤務手当、特殊勤務手当、休暇手当などについては臨時工も金額に差はあつても(それは主として勤続年数の差に由来するものと窺われる。)本工と同様支給され、昭和四四年一月本工が日給月給制と変るまで臨時工も本工とともに日給制による給料が支給されていたこと、徳島工場において採用される者(後記の永久臨時工などを除く。)は、その殆んどは工員であり、しかも極く少数の事務系統の採用者をも含めて臨時工の名で統一的に呼称され、それ以外に試傭工、見習工などの名称のもとに雇入れられるものはいないこと、また、工場内のこれら従業員(本工及び事務職員を含む)らは、右臨時工の名のもとに雇入れられた者達を、将来本工に採用されることを前提とした地位にあるものと認め、職制間にも本工に登用するテストの期間という見解で遇し、試傭期間と同義語に解していたこと、被申請会社の徳島工場において施行されている就業規則(疎甲第二号証、疎乙第四号証)には、試傭期間に関する規定(同就業規則2、4)が存在するが、臨時工ないし臨時工期間に関する規定は何ら存在せず、又右就業規則の他に臨時工に関する定めをした諸規定も特に作成されていないこと、右就業規則2・4第一項には、「新に雇入れられた従業員は……以内の試傭期間を置く。試傭期間中に本人の身元、健康状態、技能、勤務成績を審査し、不適格と認められたとき又は無届欠勤四日以上に亘るときは採用を取消すものとする。……」と規定されているが、右試傭期間満了の際本工に昇格する手続については何ら規定されておらず、就業規則以外にもこれに関する規定をしているものは何もないこと、被申請会社は、右就業規則2・4の試傭期間に関する規定は、本社採用の者にのみ適用されるもので工場採用の工員には適用されないといいながら、本件解雇後右試傭期間二ケ月とあるところを一年と改め、昭和四三年一二月二三日その旨監督官庁である所轄鳴門労働基準監督署長に届出たこと、徳島工場においては、右臨時工の他に高令者、主婦等が比較的短期間を定めて永久臨時工、アルバイトならびにパートタイマーなどの名で臨時に雇入れられ、前記臨時工の従事する作業とは異なる清掃、運搬、包装など比較的軽易な雑役的な作業に従事するものが合計七、八〇名位存在し、これらのものは当初から本工に昇格することはないものとして採用の都度その者らに特別の期間を限定した臨時雇傭契約書を作成して雇入れられていること、被申請会社徳島工場の従業員は約七〇〇名位であるが、そのうち約二〇〇名位の臨時工と呼ばれている者が働いていること、申請人は、昭和四二年三月徳島県立日和佐高等学校を卒業し、同年四月から同年九月まで徳島県羽ノ浦町に本社を有するナカイタテグ株式会社大阪支店に勤務した後、同年一〇月一三日牟岐公共職業安定所の職業紹介により被申請人に採用されたものであるが(申請人が右年月日に被申請人に採用されたことは当事者間に争いがない。)、採用に当つては履歴書、戸籍謄本、身上調書ならびに志願者考査表(疎乙第六号証)等の書類を提出し、徳島工場長、和田総務管理課長などの職制と面接の上、徳島工場勤務の機械工(ベアリングの研磨)として採用する旨告げられ、右職制より就業規則(疎甲第二号証)を手渡されて臨時工の名で採用されたものであること、その際応募した者は五、六名あつたが、そのうち二、三名が採用され、他は不採用となつたこと、申請人は公共職業安定所の職員からは、「一年辛抱すれば本採用になる」旨の説明を受けて応募し、さらに工場長などの職制から「臨時工期間は一年で、解雇されることなく右期間を経過すれば本工となる。」趣旨の説明を受けたが、その他に右期間満了によつて当然雇傭関係が終了するとか、期間満了の際改めて試験などによる詮衡手続がありそれに合格しなければ本工に昇格しないで雇傭関係は終了するなどの点については一切説明を受けていないこと、申請人は、その説明があつた一年の期間内を辛抱すれば、当然被申請会社の本工としての地位に昇格すると信じて面接選考を受け、右就業規則を読み職制の説明を聞いて入社することを承諾したこと、入社と同時に申請人は本工が多数所属する第一生産課特殊研磨区外輪班に配属され、昭和四三年七月二二日第二生産課スラスト班に配置転換されるまで本工の指導の下に、本工と同様研磨の作業に従事していたこと、昭和四二年中に徳島工場において臨時工として採用され、翌昭和四三年中に一年の臨時工期間の満了する者約四〇名中右期間中に工員として不適格と判定された者で退職勧告を受けて任意退職した者五名、解雇の形式で辞めた者二名(申請人を含めて)合計七名で、残る三三名の者のうち自から退職を希望した若干名を除く大多数の者は期間満了とともに格別の本工登用の試験を受けることなく本工に昇格していること(但し、前述の如き書類選考等はなされた。)臨時工のうち一年経過した日に雇傭関係が終了したものとされ、その日に退社した者は一名もないこと、被申請会社の案内書(疎甲第一三号証)ならびに徳島新聞(昭和四二年八月一九日、同年九月七日、同月九日、昭和四三年八月二〇日、昭和四四年七月一七日付各発行)に掲載された従業員募集広告(疎甲第一四号証の一ないし三、第一八号証、一九号証)などには一貫して採用の場合、臨時工ないし試傭工など従業員として取得する身分に関する説明記事は何ら記載されておらず、却つて徳島工場を管轄する鳴門公共職業安定所に職業安定法第一八条により要求された労働条件を明示するために提出された徳島工場の昭和四三年度ならびに昭和四四年度に関する求人申込原票(なお昭和四二年度については保存年限を経過しているため求人関係書類は右公共職業安定所には保存されていないが、弁論の全趣旨により昭和四三年度及び同四四年度と同内容の求人申込原票であつたものと推認される。)には採用される従業員の身分につき「常用但し試傭期間一年」(なお職種は女子、組立・検査・包装、男子、機械工(旋削・研磨・組立)なる記載がある。)という字句が記載され、又本件の解雇通知書(疎甲第一号証)には、「貴殿を昭和四二年一〇月一三日試傭期間中の工員として採用致しましたが、本工として採用する事が不適格と判定致しましたので昭和四三年八月二九日限り上記試傭期間の採用を取消します。」との記載があること、

以上の事実が認められ、証人森章、同麻野新一の各証言ならびに疎甲第一一号証の記載部分中右認定に反する部分はにわかに措信し難く、他に右認定を覆すに足る疎明はない。

右認定事実を綜合すれば、申請人と被申請人との間に成立した雇傭に関する合意の内容は、期間を一年と限定されたいわゆる臨時工契約ではなく、初期一ケ年のみにつき被申請会社側で申請人に本工として適格性ありや否やの判定をしうる期間を置いたいわゆる試傭契約の伴つた期間の定めのない継続的な雇傭契約であり、その法律上の性質は申請人が、右期間内に解雇されることなく右試傭期間が満了すれば、本工(法律的には期間の定めのない雇傭契約にもとずく従業員たる地位、以下本工とある語はこの意味に使用する)に登用する方式について、被申請人側で特段の定めをしていない本件においては格別の手続を要せず直ちに上記の本工に昇格(期間の定めのない雇傭契約に付せられた附款の消滅ないしは右期間の定めのない雇傭契約そのものへの移行)するが、被申請人が勤務成績、技能、健康状態などから本工として不適格と判定された場合は被申請会社側から就業規則のなかで自から付した解雇制限の規定によることを要せず、上記の理由の存在のみで直ちに解雇することができるという大巾な解約権が留保されている契約であると解するのが相当である。

けだし、一般に、使用者は労働者と労働契約(雇傭契約)を締結するに際し、労働者に対し賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない(労基法第一五条第一項)。その明示すべき事項の細目は労基法施行規則第五条第一号から第一〇号までに列挙するところである。ところで、その明示事項の細目は、同条第一号及び第一〇号を除き、その他はすべて就業規則の必要的記載事項として就業規則に記載しなければならないものとされている事項に包含されている(労基法第八九条第一項)。そこで、前記疎明された事実にもとずき考えるに、被申請会社徳島工場長らが申請人に対し、「徳島工場勤務の機械工(ベアリングの研磨)として採用する。」趣旨を告げ、その際就業規則(疎甲第二号証)を手渡したのは労基法第一五条にもとずく雇入れにあたつての労働条件明示義務の細目たる諸事項のうち、第一号の「就業の場所及び従事すべき業務に関する事項」については、採用の際口頭で右の如く告げ、申請人もこれを承諾したが、その余の同条第二号ないし第一〇号に関する事項は、口頭による告知に代え、被申請会社就業規則にその必要的記載事項及び任意的記載事項として総べてを網羅されているので、右就業規則を申請人に手渡しその書面による告知をした趣旨と解される。右就業規則のうち2・4の試傭期間についての規定は、労基法第八九条第一項第三号の「退職に関する事項」にあたり、同法第九三条の「労働条件」にあたるものであることは後述の説明のとおりであるが、また、一面において、雇傭によつて取得する地位、身分を表す規定とも解し得られるから、従つて当然雇入れの際明示すべき「労働条件」にあたることは疑がない。そこで、同法施行規則第五条第四号によつて告知を要求された「退職に関する事項」のうちには右試傭期間の定めに関する事項の告知も当然必要とされる。被申請会社徳島工場長らが申請人に対し右就業規則を手渡した行為のなかには、右試傭期間に関する告知についても右就業規則2・4の規定を援用しその書面による告知をした趣旨も含むと解すべきである。全疎明資料によるも、これに反し右試傭期間に関する就業規則の規定を除外して雇傭契約を結んだという事実(そのためには、例えば期間を限定して雇入れしたとか、その外期間の定めのない雇傭契約と密接に関連する試傭期間とは相容れない明示の合意をすることが必要である。)は何ら疎明されていない。

また、実質的に考察してみても、申請人が採用後に従事した職務内容等は、前記疎明の如く本工と呼ばれている従業員のそれと全く同質であつて、たゞ申請人は未経験のため独立して仕事ができないので、熟練した本工の指導を受け、技能を習得しながら一人前の従業員となることを目指している点で、その期間見習の要素があるだけである。技能習得の適性があると判つた者に対しては、被申請会社は近い将来の完全な生産活動にたずさわつてもらう若い工員として期待を向け、工員養成の資本を投下しているもので、その前堤の下に工員としての資質を鑑別する目的で、上記のような工員としての相当な選考手続を前置していることが窺われる。以上のような選考の過程ではわからない技能習得の適応性を実施を通して判定するに要する期間が、まさに試傭期間と呼ばれ、解雇権を留保される所以に外ならない。のみならず被申請会社側に、このようにして採用した多数の工員のすべてを、一年の期間を限つた法律上の用語としての臨時工として置かねばならない経済上その他の合理的理由が存在することの疎明は何らない。

以上要するに、被申請会社が申請人を臨時工と呼ぶのは、単にその呼称にすぎず、その本質は右呼称の如何にかゝわらず前記認定の如く試傭契約すなわち期間の定めなき雇傭契約を前提とする試傭期間中の者と解すべきを相当とする。

よつて、本件雇傭契約が、期間を一年とするいわゆる臨時工契約であるとの被申請人の主張は到底採用するを得ない。

なお、被申請人は、労働協約(疎甲第三号証)第五条所定のユニオンシヨツプ協定あるにかかわらず、申請人が本件解雇当時組合員でなかつたが、これは申請人が当時なお右協約第五条第五号(ハ)および光洋精工(全光洋)支部規約(疎甲第四号証)第三条但書第七号ハにいわゆる「一定期間を定めて臨時に雇入れらる者」に該当していたからに外ならないと主張するが、なるほど第三者の作成にかゝり弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる疎乙第九号証によれば、申請人は本件解雇当時申請人が自認する如く非組合員であつたが、これは被申請会社と組合との間には従来申請人の如く臨時工の名で雇入れられる者については、就業規則2・4の規定は適用されず、臨時工期間の者は、右協約第五条第五号(ハ)および右組合支部規約第三条但書第七号ハにいわゆる「一定の期間を定めて臨時に雇入れられる者」に該当する者として取り扱う旨の協定が結ばれ、慣行として臨時工期間(入社より一年)中の者は組合への加入を認められなかつたが、申請人も右協定に従い本件解雇当時非組合員として取り扱わわれていたにすぎないことが認められる。しかしながら、右協約ならびに支部規約の当該各規定は、いずれも「日々雇い入れる者及びこれに準ずる程度の一定の期間を定めて臨時に雇入れられる者」と規定しているのであるから、前記認定の「永久臨時工」はこれに該当することは明らかであるが、申請人の如く、期間の定めのない雇傭契約関係にある者で、試傭期間中にある者は、右協約第三条第五項(ホ)、支部規約第三条但書(ホ)、「試傭期間中の者(入社後二ケ月以内)」との規定に該当し、その試傭期間中組合員たるの資格を否定されることあるは格別、右の「一定の期間を定めて臨時に雇入れられる者」に該当するものとして取り扱うことの許されないのは前記認定で明らかである。従つて前記組合が被申請会社と結んだ臨時工の範囲に関する協定(むしろその性質は覚書である)は、協約及び支部規約の誤解にもとずくものであつて、本来、申請人及びこれと同種のいわゆる臨時工と呼ばれている者を試傭期間中のものと解するにつき何ら支障となるものではない。

2  次に、前記認定の如く申請人が被申請人に採用された昭和四二年一〇月当時、被申請会社徳島工場において実施されていた就業規則2・4によれば、試傭期間は二ケ月とする旨規定されているので、試傭期間を一ケ年とする本件雇傭契約が右就業規則に牴触するか否かについて検討する。

そこで、さかのぼつて就業規則2・4の規定が、申請人の如く臨時工の名で雇入れられた者に通用されるか否かについて考えてみるに、前記認定の如く徳島工場に雇入れられる従業員は、本工への昇格を予定されていない永久臨時工等を別とすれば臨時工の名で採用される者がその大部分を占め、しかもこれらの者は会社との間に当初から期間の定めのない雇傭契約を結びただ試傭期間中会社に解雇権が留保されているにすぎないいわゆる試傭工であり、これらの者に前記就業規則の規定が適用されないとすれば、右規定は空文化するのみならず、就業規則の一体性と、その効力は、明文の除外規定がない限り、当該事業場たる被申請人徳島工場に雇傭された全従業員に及び、被申請会社側の言ういわゆる右臨時工をその適用から除外すべき明文の定めもなく、また明文なくしてそのように解する合理的理由を発見し得ないから、試傭期間に関する右就業規則の規定は当然申請人にも適用されるというべきである。

なお、被申請人は、右規定は本社定期採用者にのみ適用される規定であると主張するが、前同様右規定にはその旨の明示もなく、又そのように解すべき根拠もないばかりか、就業規則から就業関係の規定を抜萃し徳島工場の従業員に配付されている「従業員の栞」(43・2・1付、疎甲第一一号証)中の試傭期間に関する規定は、試傭期間を一ケ年とした上、新たに「但し本社定期採用者を除く。」との但書を設けた以外は前記就業規則の規定と同様の内容であることを考えると、就業規則2・4の規定は、本社定期採用以外の徳島工場の従業員、すなわち臨時工の名で雇入れられる者にも適用されるものという外ない。

ところで、労働基準法第九三条(以下法第九三条という。)には「就業規則で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。その場合において無効となつた部分は、就業規則で定める基準による。」と規定されている。賃金、労働時間、休日、休暇、災害補償はもとより転勤、出向などの人事に関する条項も右法条にいう労働条件に含まれると解されるが、試傭契約に関する条項がそれに含まれるか否かは検討を要するところである。

思うに、法第九三条は、就業規則で定めるところを以つて労働者の待遇の最低基準とし、それ以下の待遇が行われないように、その基準以下の待遇を無効とする趣旨であり、従つて、労働契約の内容に関するもののみならず、その終了に関するものについても、同条の適用があると解すべきである。そうだとすれば、解雇に関する事項は、労働契約の終了に関する労働者の待遇を定めるものであり、かつ労働者にとつて極めて重要な意義を有するから(法第八九条第三号の「退職に関する事項」にあたると解され、就業規則の必要的記載事項とされるのもこの事由による)法第九三条の労働条件に含まれるというべきである。

ところで、成立に争いのない疎乙第四号証によれば、就業規則5・4第一項に解雇事由として「(1)精神上又は身体上の故障のため業務に耐えないと診断されたとき(2)労働基準法4・4の規定により就業を禁止すべき疾病にかかり治癒の見込がないと認められたとき(3)技術又は能率が著しく低劣のため就業に適しないと認められるとき(4)賞罰規定により懲戒解雇に処せられたとき(5)組合を除名され会社が承認したとき(6)経営上の改変に伴う解雇のとき(7)前各号に準ずる程度の止むを得ない事由があるとき」とその基準を規定していることが認められる。

ところで、本件就業規則2・4には試傭期間中本人の身元・健康状態・技能・勤務成績を審査し不適格と認められたとき又は申請人が無届欠勤四日以上に亘つたときには被申請人は採用を取消す。と規定され、こゝにいう「採用の取消し」とは、解雇の意志表示と同意義と解すべきであるから、前述の説明で明らかなごとく被申請会社に大巾な解雇権を留保した法律上の性格を有するものである。そこで試傭契約制度は、結局解雇基準として把握さるべきもので、しかも右就業規則所定の本来の解雇基準(これは当然申請人にも適用あるといい得る。)の外に試傭者の場合にはさらにこれよりも軽度の事由をもつて解雇基準となしたものといい得る。その意味において本件試傭期間に関する就業規則の定は、労働契約の終了に関する待遇を定めたものであり、かつ試傭期間の長短は当該適用を受ける労働者にとつてより軽度な解雇事由によつても解雇されるという不安定な身分の存続期間を意味する点で重要な意義を有するものというべく、従つて前述の法理の一適用として試傭契約上の試傭期間に関する定めは、法第九三条の労働条件に含まれると解するのが相当である。

而して、試傭期間を一年と定めた本件労働契約は、試傭期間を二ケ月と明定する就業規則2・4所定の労働条件より不利な労働条件を定めるものというべく、その意味で右労働契約は就業規則の右規定に定める基準に達しないから法第九三条により、二ケ月を超える右労働契約の試傭期間の約定は無効であり、本件労働契約の試傭期間は、就業規則に定めるところに従い二ケ月となるというべきである。

このことは、たとえ試傭期間を一年とする労働契約が被申請人主張の如く、長年にわたる慣行で、労働組合もこれを承認していたと解しても、解雇に関する就業規則の定めは、労働条件の最低基準として法第九三条により直律的効力を与えられ、右規定は強行法規であるから、これに違背する労働契約は、たとえ労働慣行にもとずくといえども、その違背する限度で無効と解さねばならない。

以上によれば、申請人は雇入れより二ケ月を経過した昭和四二年一二月一三日を経過するとゝもに、解雇されることなくして試傭期間を終了し、当然本工、すなわち期間の定めのない雇傭契約上の地位を取得し、本件解雇当時は勿論すでに本工となつていたという外ない。

よつて、本件解雇即ち被申請会社の試採用を取消す旨の意思表示はその前提を欠き無効というべきである。

3  次に、本件解雇の懲戒解雇としての効力について判断する。

前記認定の如く、申請人は本件解雇の意思表示をなした際本工たるの地位にあつた。しかし本工といえども前記就業規則所定の解雇基準に該当する事由があれば解雇されることは言うまでもない。ところで被申請人は、申請人に懲戒解雇にあたる事由があると主張する、そこで先づ、被申請人主張の懲戒解雇事由の存否について検討する。

申請人が昭和四二年一〇月一三日被申請人に採用されてから本件解雇まで約一〇ケ月を経過していたこと、被申請会社徳島工場の内申請人所属の職場(第一生産課特殊研磨区外輪班)においては、昼夜二交替勤務制が行なわれ、昼間勤務は午前八時から午後四時まで、夜間勤務は午後四時から翌日午前零時までで、一週間毎の昼夜交替勤務となつていること、夜間勤務の場合は二時間ないし六時間の残業があり、土曜日および月曜日は原則として残業が行なわれない立前になつていたこと、就業規則3・1・5には時間外勤務については二時間につき一五分の割で休憩を与える旨の規定があり、二時間残業の場合は一五分、六時間残業の場合は合計四五分の休憩時間があつたこと、右休憩時間のとりかたは、勤務終了時にまわすことが慣行化し、二時間残業の場合は午前一時五〇分、六時間残業の場合は午前五時三〇分にそれぞれ作業を終了し、後始末に若年の時間をさき、帰宅時間の余裕を残せるようにしていたこと、申請人は、昭和四三年六月六日の六時間残業時に定刻より約一〇分早く、すなわち午前五時二〇分頃すでに機械を止め、また同年七月六日の二時間残業時に同じく一五分早く、すなわち午前一時三五分にすでに機械を止め、かつ五分早く洗面したこと、七月六日は土曜日で申請人ら二名だけが残業に従事していたこと、被申請人は昭和四三年七月二二日申請人に対し第二生産課スラスト班に配置転換を命じたこと、および申請人はスラスト班においてはラツプ工(錆の出た製品の手直し)の仕事に従事していたことの各事実は当事者間に争いがない。

証人森章の証言によつていずれも真正に成立したものと認められる疎乙第一〇号の一、二、申請人本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる疎甲第八号証及び同第一〇号証、証人森章、同蓑手誠一、同打越敏一の各証言、申請人本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によれば、次の事実が疎明される。

申請人の昭和四三年六月七日の行動は早く機械を止めて終業し、機械裏のコンベアー上に段ボール紙を敷いて本工多田憲章と雑談していたことであり、同年七月六日の行動は早く機械を止めて終業し、従業員ホールに出てきて手を洗い終え、帰宅時間を待つていたことであり、それぞれその違反行為を発見した守衛の田村某から注意を受けたが、右六月七日は本工であり、かつ指導工である多田憲章も申請人と同様の行動をとつていたにかゝわらず、同人に対しては別段注意した形跡がないこと、残業時における勤務については作業終了の定刻より若干前に機械を止めてしまう従業員も時々あつたこと、申請人は、配転後上司である蓑手係長から第二生産課ラツプ班の機械で足を組んで作業をしていた態度を見咎められ一回注意されたことがあるが、それ以外に上記いずれの場合も上司などから作業態度などにつき注意を受けたことはないこと、申請人は昼食時定刻(正午)より少し前に職場を離れて食堂に入ることがあるが、これは徳島工場においては、注意しても改まらない傾向で、あながち申請人にのみ限つたことではないこと、前記二回にわたる機械を早く止めて終業したこと以外の事由は、被申請人が本件解雇の理由として取り上げ申請人に告げていないこと、申請人は、入社後本件解雇まで有給休暇を一日とつたゞけで、その他に無断欠勤・遅刻・早退等一度もなく、入社後第二生産課へ配転されるまで人並に一ケ月約四九時間の残業をし、その殆んどは六時間残業であつたこと、以上の事実が疎明され、他に右認定を覆すに足る疎明はない。

申請人が上司から六月七日および七月六日両日の怠慢につき厳重注意を受け、かつ第二生産課への配転後も作業態度が悪く上司より再三厳重注意を受けながらその作業態度は一向に改まらず、作業能率も悪かつたとの被申請人の主張については、証人森章、同蓑手誠一、同打越敏一の各証言中にこれに副う供述があるけれども、申請人本人尋問の結果と対比すると、上記各証人のいう程度の非違であつたか否か疑わしく、上記各証言は容易に措信し難く、他にこれを認めるに足る疎明はない。

前記当事者間に争いのない事実と右認定事実とを綜合すれば、申請人の作業態度が時にやや不真面で反省を求められるべき点があつたことを窺うに難くないが、だからといつて右認定の程度の非違は就業規則12・5(13)の「労働時間中許可なく横臥若しくは睡眠し、又は無断で職場をはなれた者」に対しても、減給又は出勤停止の懲戒処分にとゞまる旨の懲戒規定と対比考量すると、到底、懲戒解雇の事由となすには足らず、又はその非違行為の繰返しの回数、怠慢の時間、行為の態様、その他申請人の前記非違行為を全体として考察しても、いまだこの程度では就業規則12・4(13)「正当な理由なくたびたび上長の指示命令又は責任者の通達指示に従わなかつた者」および同(23)「濫りに職場を放棄する等、業務の正常な運営を阻害し……た者」という各懲戒解雇事由に該当しない。その他の懲戒解雇事由を検討してみても、いずれも該当するものはない。

よつて、懲戒解雇によつて本件雇傭契約関係が終了したとの被申請人の主張は、到底採用するを得ず、従つて本件解雇は無効である。

第三、給料債権等の存在

申請人は、昭和四三年七月当時毎月三〇日に月額金四万〇、〇五〇円の平均賃金の支給を受けていたこと、同年八月一五日から同年一一月二〇日までの給料は金一二万八、一六〇円であること、同年度末における一年間勤務者の一時金平均額は金六万円であること、は当事者間に争いがない。また、申請人が昭和四二年一〇月一三日被申請会社に入社し、爾来本件解雇まで引き続いて勤務していたことは、前に認定したとおりである。

そして、本件解雇は無効であることは前記認定により明らかであるから、申請人は、本件解雇なかりせば引き続いて被申請会社に勤務し、昭和四三年末における右一時金および毎月三〇日に少なくとも右平均賃金相当額の給料の支給を受け得たものと推認できる。被申請人は無効な本件解雇を理由に申請人の就労を拒否しているものであるから、被申請人の責に帰すべき事由による賃金不払いである。よつて申請人は被申請人に対し不払いの給料及び一時金の支払を求める権利がある。

而して、被申請人は、申請人に対し不払となつた昭和四三年八月一五日から同年一一月二〇日までの給料金一二万八、一六〇円、同年度末における一時金六万円および同年一二月分から本件口頭弁論終結までにすでに履行期の到来した、すなわち昭和四五年一月分までの毎月三〇日限り支払わるべき給料金四万〇、〇五〇円宛の合計金五六万〇、七〇〇円、以上総計金七四万八、八六〇円と、本件口頭弁論の終結した日以後に弁済期の到来する昭和四五年二月分以降本案判決確定にいたるまで、毎月三〇日限り支払わるべき当該月の給料金四万〇、〇五〇円宛の金員の支払をなすべき義務があるというべきである。

第四、仮処分の必要性

申請人本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、申請人は被申請人から支給を受ける賃金を唯一の資源としてその生計を維持しているものであることが認められ、他に資産を有し、あるいは本件解雇以降他より収入を得ているとの疎明もないから、申請人は前記給料及び一時金全額の仮払いを受けなければその生活に回復し難い損害を蒙るべきことは明らかである。よつて本件仮処分についてはその必要性があるというべきである。

第五、結論

そこで、本件仮処分申請はすべて理由があるから認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 林田益太郎 笠井昇 久保田徹)

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